俺たちは、登る前からドラマを作っていた。

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春の匂いがしてきた3月中旬。
ファクトリーの空気が、なんとなくザワつき出す。
「そろそろ、あれっすね」
「うん、やるか…今年も」
こうして、恒例行事・板橋カップ2025の準備が、静かに始まった。
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まず最初に手をつけたのは日程調整。
これがうまくいかないと、全部終わる。
ホールド製作も、他のイベントも、全部が絡み合う時期に、
「この日しかない!」という一本をスパッと差し込む。
まるでオンサイトトライの一手目みたいな緊張感。

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毎年この準備期間はとても忙しく、心のゆとりなんてない。
でも、今年はひと味違った。
俺には頼れる仲間たちがいた。
常連の面々が、「手伝い?やりますよ」と声をかけてくれて、
ホールドの洗い・仕分けは無事セット前に完了。
なんなら俺、ほとんどホールド洗っていない。代わりにスプレッドシートと格闘してたけど。
こういうとき、あらためて思う。
いい場所は、いい人たちがつくってる。


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今年の常盤台クラスには、**新システム「決勝トーナメント」**を導入。
構想から調整まで、まるで大会をもう1個作ってるかのようだった。
「この場面でふるいにかけて…ここで爆発…いや、ここで感動…」
そう。俺たちは課題を作ってるんじゃない。ドラマを設計してるんだ。

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セットに入ってからは、情熱がさらに加速する。
加藤さん、岩橋さんとの議論は特に熱かった。
「この課題、今のままだとみんな登れちゃうよ」
「でも削りすぎると、誰も登れない」
「ギリギリを攻めよう」
「はい」
そして始まる試登地獄。
ミリ単位の微調整、それ毎に再試登、また修正…の無限ループ。
気づけば全員、指皮と理性を削りながら笑っていた。
全員が疲れてる。
でも、全員が「この配置だ」「このムーブだ」と叫ぶ。
セットの喜びは、一撃よりも“共有”にあるって、思い知らされる。

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俺の中にあったのは、ただ一つの想いだった。
“目指せる背中”を並べたい。
同年代のクライマーが、本気で挑んでいる。
その姿を見て、「俺もやってみようかな」と思えるような空間にしたかった。
そしてその背中の先には、
壁を支配するような登りを見せる“猛者たち”がいる。
そこに立つ姿が、自然と憧れになっていく。
「次はあそこに立ちたい」
「俺も、あのステージを目指して頑張ろう」
そう思えたとき、人は自然と挑戦したくなる。
求めたのは、登るグレードじゃなくて、登る理由。
その意味がちゃんと伝わる大会を目指して、
俺はずっと、ワクワクしながら準備を進めてた。

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やること多すぎて目が回りそうな日々だったけど、
正直、「やめたい」と思ったことは一度もなかった。
それどころか、
みんなが登ってる姿を想像するだけで、ニヤけてた。
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すべての課題が仕上がった夜、
マットに寝転がって、ホールドを見上げた。
ファクトリーは静かだったけど、
俺の心の中には、すでに大会の歓声が響いてた。

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伝えたいことは一つだけ。
板橋カップで起きる感動は、唯一無二。
観てるだけじゃもったいない。
当事者になって、体感してほしい。
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予告:
【田中日記|板橋カップ当日編】
朝6時、まぶたが開いた。
体はまだ重い。でも、心はもう前を向いていた。
積み重ねてきたすべてが、今日に繋がっている。
あとはやるだけ、みんなを信じて。